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西大泉連合町会の前身となる西大泉町会は1932年(昭和7年)に設立されました。 では、この時代はどのような時代だったのでしょう。 町会設立の前年1931年には満州事変が勃発、1932年には満州国が建国され、 また、5.15事件が勃発したのもこの年です。日本が軍国主義に傾斜し戦時色を強めつつある時代でした。 その後、1940年(昭和15年)には政府通達により、村では部落会、都市では町内会が置かれ、 大政翼賛的な組織となり、政府の監督が強化されました。 西大泉町会も区政の末端業務を担当して、政府の施策に対応していくことになりました。
その頃の町会活動は ・消防組織 ・婦人部の結成 ・出征兵士の見送り ・衣料、食料など生活物資の配給 などが主な業務でした。 因みに、現在西大泉交番となっているところに、 当時衣料や食料の配給券を手渡すプレハブ小屋がありました。 では、町会加入戸数はどの程度だったのでしょう。 昭和26年当時の西大泉の全戸数は172戸といわれていますから、 全戸が町会に加入したとしても、おおむね170戸程度であったといえるでしょう。 上記のような戦時町会・隣組制度は1947年(昭和22年)3月7日末日マッカーサーの指令で廃止されました。 マッカーサーの指令で幕を下ろした町会は、1949年(昭和24年)から1950年(昭和25年)ころに 「振興会」とし現在の町会が形成されたようです。 それでは、時系列的に町会の歴史を振り返ってみましょう。 ・1932年 (昭和7年) 町会設立 ・1960年5月2日 (昭和35年) 会則制定 ・1961年4月15日 (昭和36年) 町会事務所建設決定 ・1962年2月18日 (昭和37年) 町会事務所竣工、落成式) ・1962年4月5日 (昭和37年) 町会費値上げ(20円/月から50円/月に) ・1963年 (昭和41年) 野球部(西勝野球部)と剣道部(大三道場の前身)発足 剣道部は第三小学校道場が手狭となったため、一部が大西小に移り、現在の大四道場となる。 ・1982年 (昭和52年) 西大泉連合町会に改組 新住居表示の改定により1丁目から6丁目を分掌することになり、 各丁目ごとの組織と泉台町会を併せて連合町会として運営 ・1981年4月1日 (昭和51年) 新会則制定 ・1982年 (昭和52年) 会旗の新調 「美しく・よい」さまをたとえる梅と桜をモチーフに図案化、京都西陣織の最高級品 ・2002年 (平成14年) 西大泉連合町会70年記念史「泉よ永遠に」を発刊 ・2012年(平成24年)80周年を迎える ・2018年町会の防犯活動(安全・安心な街づくり)の一環として防犯カメラを町内に5基設置 ・2019年(令和元年)87周年を迎える 連合町会の会旗です
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