「電池のバッテリーと野球のバッテリー」 ( AIの解説からの引用です)
電池のバッテリーと野球のバッテリーのどちらも英語のbatteryに由来、もともと「 一連の」「並列された砲台」という意味から派生した言葉です。
電池はエネルギーの「一連の装置」、野球は投手の投球を捕手が受ける「連続した守備」から命名されました。語源はともに砲台という軍事用語に由来するのは興味深いですね。
野球豆知識その10
ロッキーズがRHP(右腕)の菅野智之選手と契約
コロラドロッキーズニュース(ロッキーズ専門のサイト)で
「ロッキーズがRHP(右腕)の菅野智之選手と契約し、キャンプ直前にサプライズ契約を結び、日本人先発投手を獲得した」と大きく報じました。巨人軍だった菅野選手への期待の大きさを物語っています。
ロッキーズにはこれまで、吉井、マック鈴木、リトル松井が在籍したことがありますが、知名度が低く人気もパッとしませんでした。菅野は実績も十分ですから、10〜15勝を期待されています。昨年の日本ではロッキーズのTV放映は対ドジャーズ戦だけでしたが、今季は菅野が登板する試合は全て観戦出来ると思います。そして、目標はまず最下位からの脱出です。皆様、ロッキーズの応援を宜しくお願いします!!野球豆知識その11
コロラドロッキーズニュースの内容をお伝えします『36歳の菅野は、日本の沿岸部にある神奈川県出身で、読売ジャイアンツで12年間の輝かしい実績を残してきた。彼は2007年の松井稼頭央以来、ロッキーズでプレーする初の日本人選手であり、2001年のマック鈴木以来初の日本人投手でもある。先発とリリーフの両方で活躍する菅野は、NPB通算276試合に登板し、防御率2.43を記録している。2020年シーズン終了後、ポスティングシステムへの参加を試みたものの、契約には至らなかった。ボルチモア・オリオールズは、2025年シーズンに向けて菅野と1年1300万ドルの契約を結んだ。ルーキーシーズン中、彼は先発投手としてのみ活躍し、30試合に先発し157イニングを投げ、防御率4.64、106奪三振を記録した。だか、菅野は被本塁打数ではアメリカンリーグトップの33本を記録している。「トミー・シュガー」の愛称で知られる菅野は、その制球力で知られ、スリークォーターアームスロットから繰り出す多彩な球種を誇り、これは2026年シーズンに向けてロッキーズが新たに実験的な投球哲学として優先しているものだ。菅野の主力球はスプリットフィンガーで、昨シーズンは平均時速87.3マイル(145.3キロ)を記録した。スイープスライダーも持ち合わせている。投球は速球2種類、フォーシーム、そしてシュートの3種類である。また、カーブとカッターも投げ、NPB時代にはフォークボールも投げていた。菅野は、スコッツデールにあるロッキーズの春季キャンプに参加する。また、今年のWBCでは侍ジャパンでの登板が予定されている。』
(菅野の年俸は昨年オリオールズで1300万ドル=20億円、今年はロッキーズで510万ドル=8億円です。オリオールズでの成績は10勝10敗でしたから、オリオールズとしては払い過ぎだと評価したのかも知れません。ロッキーズとも1年契約ですが、良い成績を挙げて来季の高評価に結びつけたいものです)
閑話
ギリシャのテッサリア地方にあるメテオラ、奇岩群の頂上に立つ修道院(鈴木武彦さんが旅行中に投稿)




聖地メテオラは1000個以上の奇岩と500メートルの高さの絶壁にある。13世紀、オスマントルコの侵略を受けたギリシャ正教徒が天然の要塞を活かしてそこに20箇所の修道院を建設、修業僧や修業尼たちは(勿論別々の修道院で)深く一心の祈りを捧げる厳しい修業生活を送ったのである。現在でもその内、6箇所が活動し観光客も修業の一端を窺い知ることが出来る。しかし、往時は頂きに至る道路もなく、崖を這い上がる細道を伝って行くしかなかった。食料や生活必需品等は全てロープを使って引き上げ、水は天水を貯めて利用するという過酷な修道生活だった。こうして、かれらは信仰を守ったのである。
閑話
ギリシャのテッサロニキはギリシャ北部に位置し、アテネに次ぐ第二の都市(鈴木武彦さんが旅行中に投稿)
テッサロニキはギリシャ北部に位置し、アテネに次ぐ第二の都市。紀元前334年から10年間にわたる東方遠征を行ったアレクサンドロス3世(通称アレキサンダー大王)輩出の地である。彼が哲学者アリストテレスから3年間学んだことが学問やギリシャ文化芸術への愛好や自然科学への強い関心を育んだと言われる。ビザンツ帝国(東ローマ帝国の別称。紀元395年のローマ帝国東西分断から1453年にオスマン帝国に滅ぼされるまで続いたキリスト教国家)時代にはコンスタディノープル(現在のイスタンブール)に次ぐ東ローマ帝国第二の都市として栄えた。同地で訪れた幾つかの名所を別途順次紹介する。



左図は、ロトンダと呼ばれ、ローマ皇帝ガレリウスの霊廟として4世紀に建造された。5世紀には教会に改築された。一時はモスクとして使われていたためミナレット(尖塔)が左に見える。イスタンブールのアヤソフィアモスクが東ローマ帝国時代にはキリスト教会であったものがモスクとして改築されたのとは対称的である。アヤソフィアは昨年3月に訪れたが、その壮麗さと、東西歴史の交錯と変遷に深く感動したことを思い出す。
中図はギリシャ正教のアギオス・ディミトリオス教会である。7世紀に建造され、焼失したものを20世紀に再建されたものだが、建材等は建造当時のものが出来る限り用いられ、フレスコ画も残り、往時の雰囲気を偲ばせている。右図は高さ35メートルのホワイト・タワー。テレマイコス湾に面して立ち、塔のてっぺんにはギリシャ国旗がはためいている。15世紀にオスマン帝国軍によって要塞を守る砦として建造された。その後、牢獄として使われていた時代もあり、「血の塔」として恐れられていたという。現在はビザンチン美術を収蔵する美術館として公開されている。
閑話"Medicine is of all the arts the most noble." (医学は芸術の中でも最も高貴な学問である)ヒポクラテス460BC-377BC(鈴木武彦さんが旅行後に投稿)
古代ギリシャの3大哲学者と言えばソクラテス、その弟子プラトン、孫弟子のアリストテレスであることは誰しもが知るところであろう。一方、古代ギリシャの医師であり「医学の父」と称されるヒポクラテスについてはあまり知られていない。
アテネの土産物店を覗いていたら写真のヒポクラテスのTシャツを見つけ、医学部5年生の孫への土産にと買い求めた。その胸には"Medicine is of all the arts the most noble." 医学は芸術の中でも最も高貴な学問である。」ヒポクラテス460BC-377BCと書かれていた。ヒポクラテスは、現代の医療倫理や健康観の基礎となる数多くの格言を残している。
・「人生は短く、芸術や医術は長い」
本来は「医術を修得するには一生は短すぎる」という、学びの厳しさを説いた言葉だという。
・「歩くことは人間にとって最良の薬である」私も毎日2kmほど歩き、自転車にも乗っている。
・「すべての病気は腸からはじまる」現代医学でも注目される腸内環境と健康の関連性を紀元前に指摘。医師の倫理規範として現代に受け継がれている「ヒポクラテスの誓い」には重要な精神が含まれている。
・「まず何よりも、害をなすなかれ」患者に利益をもたらすことを第一とし、不利益を与えないこと。
・「純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う」医師としての高い品位とモラルを保つこと。
・「医に関する秘密を厳守する」患者のプライバシー保護の原点である。これらの言葉は、日本医師会をはじめとする世界中の医療界で現在も
「医の倫理」の根幹として大切にされている。
閑話ギリシャ周遊旅程もテッサロニキ、メテオラを経てデルフィに到着(鈴木武彦さんが旅行後に投稿)
眼下にオリーブの谷とコリンティコス湾を見下ろす絶景の地に神託であまりにも有名なアポロン神殿が建つ。神域の成立は紀元前8世紀頃と言われ、最盛期の前6世紀頃には都市国家各国の指導者や王がこぞって神託を求め、国家の運命を左右するほどの影響力を誇ったという。しかし紀元後4世紀になると、キリスト教の興隆に伴いデルフィの神託は禁じられ、そのうえ神域が地震により土中に埋没。現在見ることが出来るのは、マラトンの戦いにおけるアテネ勝利を記念して建造された「アテネ人の宝庫」ぐらいで、その他多くは基礎部と柱が往時の隆盛を偲ばせるに留まっている。
話を神託に戻すと、中心はピュティアと呼ばれる女神官でアポロン神の声を伝える存在とされた。神託は国家の命運から個人の悩みまで幅広い相談に応じ、戦争、植民、法律制定など重大な決定に影響を与えたと言われる。ピュティアは神殿内の三脚に座り、神聖な水で身を清め、神からの霊感を受けてトランス(恍惚)状態に入るとされた。曖昧で象徴的な言葉を発し、男神官たちがそれを解釈して回答として伝えた。尚、ピュティアは古代ギリシャ語の大蛇に由来し、アポロンが大蛇を倒した地で神託を行うものと言う意味をもつ。そこから、英語ではPythonessとも呼ばれる。
神託の実例
・ペルシャ戦争前、都市国家アテナイは神託に基づき海軍強化を行歌(歌いながら行く)ことで勝利した。
・新しい植民都市を建設する際、神託の指示が重要視された。
・スパルタのリュクルゴス改革には神託の承認が権威付けに使われた。
以下はChatGPTとの質疑応答:
Q1 女神官はトランス状態で神のお告げを伝えたと言われるが、薬物の影響下にあったのか?
A1 古代の記録では、ピュティアは神殿地下の割れ目から立ち上がる霊気を吸い、恍惚状態に入ったとされる。現代の地質学・化学研究では、デルフィには地質断層があり、そこからエタン、メタン、エチレンなどが確認されており、事実、古代の神官プルタルコスも「香気のある蒸気がピュティアを変容させる」と記録している。つまり、意図的な薬物使用というより、地質環境が生み出す自然ガス説が有力である。
Q2 日本の巫女もお告げを伝えたと称されるが、ピュティアとの違いは何か?
A2 (共通点)
・神憑り状態で神意を伝える。
・女性が中心的役割を担う。
・社会的には「神と人の媒介者」として尊重される。
A2 (相違点)
(1)宗教体系の違い
・ギリシャ:アポロン神に特化した国家的・国際的神託機関
・日本:多神教の中で、地域ごとに巫女が存在し、役割も多様(祭祀、祈祷、呪術など)
(2)政治的影響力の規模
・ピュティア:ギリシャ世界全体の政治・軍事を左右する超国家的権威
・日本の巫女:地域共同体の祭祀者が中心。国家レベルでは卑弥呼のような例はあるが例外的。
(3)トランス状態の誘発方法
・ピュティア:地質ガスによる自然的トランス
・日本の巫女:舞・歌・反復動作などによる自己誘導的・シャーマニズム的トランス
(4)制度化度合い
・ピュティア:神殿組織により厳格に制度化された公職
・地域差が大きく、神社制度の整備以前はより自由で呪術的
写真と共にデルフィの各遺跡等を個別に紹介




1枚目ははデルフィ博物館内にあるアポロン神殿の復元図である。神殿は地震により倒壊し、現在は基礎部と何本かの柱を残すのみ。最後の神託「もはや泉は尽きた」は、自らの倒壊を予言しているようだが、ちょっと出来過ぎで後からこじつけたのではと疑いたくなる。(笑い)
2枚目は、冒頭に取り上げた「アテネ人の宝庫」である。マラトンの戦いに於ける勝利を記念して建造されたものである。
3枚目はデルフィ博物館に展示されている石彫で「シフノス人の宝庫」の一部である。保存状態が極めて良いことで知られる。波風彫刻(ペディメント)は三角形の屋根の正面部分で、そこにはアポロンとヘラクレスが神託の象徴である三脚を奪い合う場面が画像上段に描かれている。帯状彫刻(フリーズ)は波風の下に配置されていて、画像の下段にはトロイア戦争の戦列、戦士、騎馬が描かれている。
・頭の上に梁を載せるための台座がある。
・イオニア風の衣装をまとい、細かい衣文の彫りが美しい。
・アルカイック・スマイルと呼ばれる柔らかな微笑み。2枚目の彫像は「デルフィの踊る少女たちの柱」と呼ばれる紀元前330〜320年ごろ(古典後期〜初期ヘレニズム時代)の代表的な奉納彫刻である。アポロンの祭礼における巫女の舞踊を象徴するこの作品は"One of the most charming and best known works in the museum of Delphi"と紹介されている。3枚目はデルフィのアポロン神域の北西端に築かれた聖域最大級の劇場である。ビュティア(女神官)競技祭の音楽・詩歌競技の中心舞台となった。デルフィの宗教的・政治的・芸術的な力が凝縮された空間で、遺跡全体の理解にも欠かせない存在とされる。・建造は紀元前4世紀、ローマ時代1世紀に更に整備され現在の姿になった。
・ビュティア競技はアポロンへの奉納であり、劇場は神聖な芸術表現の場だった。
・競技の勝者はギリシャ世界全体で名誉を得る為、デルフィ劇場は芸術家の最高舞台だった。
・観客席は35列あり、収容人数は5,000人と推定される。
・舞台壁面には開放奴隷の解放証文(manumission inscriptions)が刻まれており、社会史的にも重要とされる。
・デルフィ劇場は単なる建造物ではなく、ギリシャ世界の精神的中心地の象徴的空間として機能した。4枚目はデルフィ神殿遺跡です。地震で倒壊し、基底部と柱数本を残すのみとなり原型を留めませんが、すでに紹介した復元図をご覧になれば3000年前にタイムスリップ出来るでしょう。
閑話旅客550人定員の大型船によるクルージングの報告である(鈴木武彦さんが旅行後に投稿)



1枚目の写真は、エーゲ海クルーズ最初の寄港地イドラ島。上陸してヒドラ島街角の何気ない細道を散策した。
2枚目は第二の寄港地エギナ島にあるアギオス・ネクタリオス修道院である。近代ギリシャ正教会で最も重要な巡礼地として知られ、聖ネクタリオスの生涯と奇跡に深く結びついた場所である。大聖堂は巨大なドームと複数の鐘楼を備え、ギリシャ正教建築の壮麗さを象徴している。ネクタリオスは、ギリシャ正教会で最も広く知られる近代の聖人の一人で、奇跡的治療で名高い。彼はまた、神学者、教育者、哲学者、詩人として、近代ギリシャ正教の精神性を体現する存在でもあった。
3枚目はエギナ島にあるアフェア神殿で、島の自然景観と神話・建築史が凝縮され、古代ギリシャ世界でも特に独自性の高い聖域である。アフェア神殿は、アテネのパルテノン神殿、スニオンのポセイドン神殿と共に「アテネ三角形」を形成すると言われ、古代ギリシャの海上ネットワークにおける象徴的位置を占めていた。三角形の頂点は北に位置するアテネのパルテノン神殿、底辺をなす南の二点がスニオン岬のポセイドン神殿とエギナ島のアフェア神殿である。三つの神殿はいずれもエーゲ海を見渡す丘にあり、航海のランドマークとして機能していた。女神アフェアはニンフの一人で、ミノス王に追われてエギナ島に逃れ、島の森に姿を消した(Aphaia=隠れた女神)という伝説が残る。規模は28.5m×13.7mで、短辺に6本、長辺に12本の柱を持つ周柱式で柱の高さは6.4mである。
4枚目はエーゲ海エギナ島にある聖三者修道院の小礼拝堂内の中世ビザンチン様式のフレスコ画である。12〜14世紀に制作されたキリスト磔刑の場面を描いた壁画だが、作者は多くの場合、修道士画家、ビザンチン画家集団であり、制作者名は残らないのが普通である。それはそれとして、荘厳な雰囲気は門外漢の私にも十分伝わってきた。
閑話アテネ国立考古学博物館には無数のギリシャ古代彫刻が展示されている(鈴木武彦さんが旅行後に投稿)




1枚目はアテネのアクロポリスの丘に立つエレクティオン神殿である。
紀元前421〜406年、場所はパルテノン神殿の向かい。左に見えるのは、カリアティードと呼ばれる6体の女性像柱で屋根を支えている。イオニア式建築の繊細さを強調するため、通常の柱ではなく装飾性の高い像柱が採用された。この神殿はアテナ神とポセイドン神との争いの舞台である。
アテネ国立考古学博物館には無数のギリシャ古代彫刻が展示されている。
2枚目の作品は、同博物館を代表する傑作で1926年にアルテミシアン岬沖の難破船引き上げられた青銅像である。
何を表しているのかについては研究者の間でもゼウス神説とポセイドン神説がある。しかし、投擲の構え、腕の開き方、重心の取り方からゼウス説が有力である。神は人間と同じ身体を持つが、理想化された均整、力を備える存在として造形される。
3枚目の作品は、アフロディテ(愛と美の女神)の像である。
片腕で胸を覆い、もう一方の手が下腹部にある女神像の典型的なポーズで、ギリシャではアフロディテ、ローマではヴィーナスとして知られる。男性裸体が英雄性・徳・神性を象徴し多数のパターンがあるのに対し、女性裸体は限定的でほぼアフロディテに独占されていて、日常の女性の姿は殆ど表現されていない。4枚目の作品は、「アルテミシオンの騎手」と呼ばれる紀元前150年頃に制作された少年騎手と競走馬の大型青銅像である。
・馬の全力疾走の瞬間を表現。馬の筋肉、皮膚の張り、口元の荒々しさまで写実的に表現していて、ヘレニズム期リアリズム極致の作品。
・騎手は10歳前後と思われる小柄な少年。前傾姿勢で手綱を左手で、右手で鞭を握る緊張した姿が馬の威容と対照をなす。
・古代ギリシャでは、競馬は富裕層のステータスであり、勝利は神への奉納であった。
・騎手は軽量化のため少年が務めることが多かった。彼らはしばしば奴隷や従者で勝利の栄誉は馬主に帰属した。
・青銅像は後世に溶かされことが多いが、この作品は沈没船から引き上げられた為、破壊を免れた奇跡の生還者である。
古代ギリシャ彫刻に裸体像が多い理由は:
①ギリシャ人にとっては裸体は恥ではなく、神性・英雄性・人間の潜在能力を象徴する理想の姿であった。
②学術用語としては、Heroic Nudity(英雄的裸体)があり、現実には裸にならない戦士や神官であっても敢えて裸で表現するという古代ギリシャ独自の慣習かあった。
③古代ギリシャの若者は体育施設で裸で運動する習慣があった。
④プラトンやアリストテレスは身体の精神を精神の調和と結びつけ、身体の美は精神の美を反映すると考えた。
ローマはギリシャの裸体表現を大量に受容したが、意味は変質した。
①ローマはギリシャを征服した後にギリシャ彫刻を大量に持ち去り、模刻を制作。ローマの邸宅、浴場、公共空間にはギリシャ風裸体像が多数置かれた。
②ローマ人自身は裸で運動する習慣はなかったが、ギリシャ的な英雄、神、戦士を裸体で表現する慣習を引き継いだ。その上、ローマでは政治的な意味が付与された。
③ローマ皇帝像でも、ギリシャ風の裸体または半裸で表現することで神性、英雄性、権威を演出する手法が広まった。例は皇帝アウグストゥスの裸体像である。
④ローマはギリシャの理想化を引き継ぎつつ、理想化された身体に本人のリアルな顔を政治的プロパガンダとして融合させた。これがローマ彫刻の特徴となり、ギリシャ彫刻とは区別される。