江戸時代に大きく開発された関村は早くから開発され、中央には青梅街道(1606)南方には玉川上水(1707)
関村の西の台地には関村の守神としての天祖若宮八幡宮(1720)、
石神井川を挟んでその北の台地に本立寺が建つ。本立寺の開基は関村の名主井口忠兵衛による。
関町南4丁目26番地と西東京市との境は、千川からの「関村用水口」から富士見池周囲の田への水路であったようだ。
青梅街道北側は昭和の区画整理で江戸時代からの道は残っていないが、関町南4丁目わかば児童公園東側の道は
千川から青梅街道を渡って天祖若宮八幡宮への道で途中には井口稲荷があり江戸時代の信仰のみちであったか。
現在この道筋には仏教やキリスト教の施設が建ち並ぶ。
またカトレア幼稚園東側、関町南3丁目との境の道は「江戸の農業みち」であったと思われる。
ぶらっと関町 第2弾
「天祖神社→井口稲荷→(踏切りを渡れば)→本立寺→東へ進めば小関庚申塔」
図の左が北 関村絵図(1784)絵図にみる練馬(1)より 現在の井口稲荷(関町北2丁目32番地)