石神井台沼辺町会地域の今昔と歩み
昭和25年頃、現在の石神井台1〜2丁目あたりを流れる石神井川沿いは一面の
田んぼでした。小川も流れており、三宝寺・道場寺の南側の清きせせらぎでは
6月頃にはホタルを見ることができました。
田畑の中には武蔵野を代表する屋敷林に囲まれた農家が点在し、屋敷の周囲に
はケヤキ・カシ・スギ等が植えられていました。ケヤキなどの落ち葉には便所
からくみ取った糞尿をかけて畑の堆肥として使用しておりました。
そんな原風景も宅地開発という時代の流れに飲み込まれていき、昭和30年代
中頃当時に、住民の増加にともない地域の絆を必要とすべく、上石神井2丁目
町会(字名で大門・沼辺・西村・小関の4地区)が発足しました。
後に大門地区と小関地区が分離し、沼辺地区と西村地区が一緒のまま推移しま
したが、昭和45年7月1日より住居表示が上石神井より石神井台となり、これ
に伴い、大門地区は石神井台東町会となり、沼辺地区と西村地区は石神井台中
央町会となり、小関地区は石神井小関町会となりました。
又、平成22年には石神井台中央町会が2000世帯を越える規模になってきたこと
から、沼辺地区が分離独立して今日の石神井台沼辺町会が生まれました。
現在の石神井台沼辺町会はおよそ1100世帯を超える任意の団体に成長を続け、
練馬区の人口も73万人を越える中、今後も町会の会員増加が考えられますが少
子高齢化の傾向もあり、町会員の高齢化のみが目立ち、今後の若い人達の参入
を期待したい所であります。
本年は新たな元号も令和となる節目に、見聞きした範囲で昭和・平成・令和
への歩みをここに記します。
令和元年10月吉日